宗教の枠を超えて生きる
家系がどこかの宗教に属しているのはいい。

でも自分自身はどうなのか?

宗教って、葬式の時しか必要ないというのが日本人。

自分が死んだとき、どの宗教で葬式をするか?ぐらいしかの問題なのかもしれない。

だとしたら、自分が死んだ後の問題なので、生きている時には関係ない。

では、生きている時に宗教は必要なのか?

必要な人は必要。必要ない人には必要ない。

それでいいと思う。

必要な人の中に、一つの宗教に属さずに、複数の宗教を信仰したっていいと思う。

どこかに属すということは、視野が狭くなるのかもしれない。

無所属こそが、全てを知る術なのかも知れない。

では、死んだときにどうなるのか?

これからの時代は死んだ時ですら無宗教であるほうがいいのかもしれない。

日本人には一つの宗教に収まらない何かがあると思う。

産まれた時は神社、結婚式は教会、葬式は寺。

それを否定する人もいるが、それこそが日本人らしさだと思う。

その時により宗教を変えられる日本人の凄さ。

それこそが宗教に寛容な日本人だ。




私が思うに、いずれ檀家制度は崩壊する。

檀家制度自体は江戸時代にできた。それ以前はキリスト教にも寛容だった。


そうなるという前提で、無所属でいて、死んだ時はなじみのある人に葬式をしてもらう形が現れると思う。

若しくは葬式すらしない。

墓は、どうするか?

家系としての墓はいずれなくなると思う。

合葬墓が主流化すると思う。

その合葬墓がどこかの寺だとしても、すでに死んでいる身として宗教などどうでもいいのかもしれない。

逆に自治体が管理する合葬墓で、供養は様々な宗教だとしても、どうでもいいのかもしれない。

もはや骨壺に骨を納めて永久的に保存するより、骨すらもなくなるような葬り方がいいと思う。

生きているうちは宗教の枠に収まらない生き方をして、死んだら、宗教などどうでもいいと思いたい。